・JRのキップは無料で何度も「途中下車できる」
JRの乗車券は、走行距離101キロ以上の乗車券のみ途中下車が何度も可能です。つまり、途中下車をしても乗車券をJRに渡すことなく、何度も使い続けることができるんです。「何度も」とはいっても、乗車券の有効期限内のみ有効です。有効期限は200キロごとに増えていき、200キロまでなら2日間有効、400キロなら3日間、600キロなら4日有効になります。

たとえば東京から京都までの乗車券を持っていれば、途中の静岡で途中下車してホテルに泊まっても翌日続けて乗車券を使い続けることができます。気になる人は、細かいルールがありますのでJRサイトをご覧ください。

“最近なんかダルいわ…という人が「いつも疲れている」理由はこの9つ

■1:運動不足

■2:水を飲まない

■3:鉄分が足りない

■4:完璧主義者である

■5:朝食を抜く

■6:ジャンクフードの食べすぎ

■7:“NO”と言えない

■8:休暇中も仕事

■9:寝る前にアルコールを飲む”
カラカラっていう泡盛用の酒器。
蓋と取手がないのが特徴らしい。

カラカラっていう泡盛用の酒器。
蓋と取手がないのが特徴らしい。

『毎月新聞』(佐藤雅彦著/中央公論新社)という本のなかに、こんな文章があります。
15年くらい前に書かれたものです。
僕は、ネットが嫌になったとき、これを読み返すようにしているのです。

 故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビの野球中継をとても楽しみにしています。「この松井って子はいいよねえ」と、目を細めながら応援しています。そして、好きな番組が終わると迷いもなくテレビを消すのです。たまたま帰郷していた僕は、そんな母親のあたり前の態度にハッとしてしまいました。『面白い番組を見る』――こんなあたり前のことが僕にはできなかったのです。


 テレビを消した後、静けさが戻ったお茶の間で母親は家庭菜園の里芋の出来について楽しそうに僕に話し、それがひと通り終わると今度は愛用のCDラジカセを持ってきて、大好きな美空ひばりを、これまた楽しそうに歌うのでした。


 僕はそれを聴きながら、母親はメディアなんて言葉は毛頭知らないだろうけど、僕なんかより、ずっといろんなメディアを正しく楽しんでいるなあと感心しました。そして目の前にある消えているテレビの画面を見つめ、先日のやつあたりを少し恥ずかしく思うのでした。


 つまらない番組を見て、時間を無駄使いしたと思っても、それは自分の責任なのです。決してテレビの責任ではありません。リモコンにはチャンネルを選ぶボタンの他に「消す」ボタンもついています。


 僕達は、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。


ネットは、テレビに比べると、「悪口が直接自分に向かって飛び込んできやすいメディア」です。
でも、パソコンの電源を切ったり、SNSにアクセスしなければ、道の向こう側から迫ってきて、無理矢理イヤなことを目の前で叫ばれる、ということはないんですよね。
そもそも、「イヤなら、つまらなければ、観ない」という選択も、僕たちにはできる。
見に行っているのは、自分の責任でもあるのです。
わざわざウンコを触り、臭いをかいで、「うわー、なんでこんなに臭いんだよ!」って怒っているようなものです。
それが臭いのは、知っているはずなのに。
(よ・う・か・い・のーせいなのね、そうなのね?)


正直、ネットで「情報を遮断する」というのは、「テレビの電源を切る」より、難しいとは思うんですよ。
ネットには「必要なもの」「面白いもの」と、「危険なもの」「不快なもの」が入り乱れているし。


それでも、僕たちには「ネットに触れない自由」があるし、そのための手段もある。
「ネットの中で、接触するコンテンツ」を選ぶこともできる。
まあ、大概において、わざわざ不快なものを引き寄せてしまうのは、自分自身なんですよね。


いまの世の中で生きていると、あまりにも「情報漬け」の状態に慣れすぎていて、そこから自分を遮断すると、不安になってしまう。
それはたぶん、杞憂なのです。
「なにげなくテレビを観つづけるのをやめる」、というのではなく、「積極的にスイッチを切るという選択をする」ことが、大事なんじゃないかな。


ネットで自分にとって不快なものに憤って改善しようとしたり、自分を嫌っている人を変えようとするのは、あまりにも不毛な作業です。
そんなどうでもいいものに関わっているほど、人生は、長くない。


自分にとって面白いものに対する知識を深めていったり、気が合いそうな人と繋がっていくことのほうが、「ネットの効率的な利用法」だと思います。


それでもやっぱり、「暗部」みたいなものが気になってしまうのも、事実なんですけどね……
これも「妖怪のせい」なのかな。